INTERVIEW

体で表現するということ

小森悠冊

小森悠冊(ゆうさく)です。NY在住でダンサーをやってます。

小森悠冊(ゆうさく)です。NY在住でダンサーをやってます。ジャズとヒップホップから始め、ストリートダンス、NYに来てからはモダンダンス、コンテンポラリーダンスを学びました。今はコンテンポラリーダンスをメインにしながら、いただいた仕事に応じてスタイルを変えて踊っています。他にも俳優やモデルなど、ダンサー以外の仕事にも挑戦しています。

僕の母は、単身渡米してから僕が生まれるまでNYでジャズダンサーとして活動していました。当時、アメリカで「スターサーチ」という参加型のオーディション番組がテレビ放映され、母は全米チャンピオンの舞踊家となって一年間勝ち抜いたんです。小さい頃から、そんな母のダンス練習を見学する機会も多かったのですが、僕は「男だからダンスはやんねー」みたいなことを言ってたそうです。でも、ダンススタジオの待合室でマイケル・ジャクソンのBADのMVを見たときに「これしかない」と感じて5歳からダンスを始めました。
とにかく母に追いつきたいという一心で、今に至るまでダンスひとすじでやってきた感じです。きっかけをくれた母とマイケル・ジャクソンを表現者として尊敬してます。

─ダンスひとすじでやってこられた中、挫折を感じたことはありますか?

高校卒業してすぐ、日本で一番大きなジャズダンスコンクールに出たんです。その大会でグランプリをもらったことで自信をつけて渡米しました。NYの「The AILEY School」というダンスの学校に入ってからも順調で、半年ほどで若手精鋭団的存在の「AILEYll」に所属が決まり、2年間活動しました。その後、別のカンパニーに所属してツアーで世界中を巡ったのですが、方向性の違いを感じて辞め、NYに帰ってきて初めてフリーランスになったんです。それまでは所属先からもらったスケジュールをこなしていればよかったのに、自分ひとりで仕事をするのはこんなにも大変なんだって実感しました。将来の不安ももちろん感じていました。リハーサルに参加しても、フリーランスにはギャラが出ない。金銭的にも困って初めてバイトもしました。日本食レストランでシェフをやって…。今の事務所から声がかかるまでの一年間は、なんでこんな二重生活をやっているんだって思ったこともありました。華やかに見える世界ほど、失ったときのダメージは大きいんだって気づかされましたね。

─苦しい時期を経て、映画の出演に至った経緯について知りたいです。

NYに来て4年目くらいのときに今の事務所からオファーがあり、所属して最初にいただいたのが映画「グレイテスト・ショーマン」のオーディションの話でした。舞台以外の仕事はほとんど経験がなかったのですが、まず受けてみようと。双子の役で、たくさんのアジア人と組んで踊りました。次に「ひとりずつ歌ってください」って言われて。オーディションの内容は聞いていたはずなのに、全然覚えていなかった(苦笑)。一人ずつ部屋に入るたびに歌声が聞こえ、自分の番が来て部屋に入るとピアノまで置いてある。覚悟を決めて「すみません、今日は何も用意していません。今日は友人ジェイスの誕生日なのでハッピーバースデーを歌わせてください」って審査員の前で言いました。全力で歌ったのがウケたのかはわからないけど、一回目のオーディションで選んでもらうことができました。それでも、マネージャーから「ヒュー・ジャックマンの映画に出ることになった」と伝えられたときは、実感が湧かなかった。本当に合格したんだ…とだんだん。

─撮影スタートから公開までのエピソードも聞かせてください。

結局、オーディションで双子役の相方は決まらず、LAからダンサーが来ることになりました。リハーサル初日まで会えなかったので緊張しましたね。会場の周りをうろうろしているアジア人がいて声をかけたら、それが相方でした。財布をタクシーでなくしたらしく、あたふたしていたのを覚えてます(笑)。
二人で会場に入ると、すでにヒュー・ジャックマンがいて「あれ、ウルヴァリン※じゃねぇ?」って、正直めちゃくちゃ興奮したんですけど、平然を装って自己紹介(笑)。ヒュー・ジャックマンとは半年間、ほぼ毎日会っていました。ゆうさくって、普段耳にしない名前だから大抵覚えてもらえないんですけど、彼は僕の名前を毎日呼んでハグしてくれました。これまでやってきた舞台の仕事と映画は、全然違いましたね。まず、一本撮るのにこんな大人数が関わっているんだと改めて実感したし、本番一回きりの舞台と、何度も取り直して最高のものを使う映画。映画も当然テイクごとに全力を注ぐんですけど、舞台との違いは日々新鮮でした。

公開1ヶ月前くらいに、キャストとスタッフ向けに試写会が開かれたんです。シーンごとにチェックはしていたけど、当然、自分が出ないシーンは知らないし、映像としてどんな仕上がりになっているかは全くわからなくて。でも、オープニングの音楽が流れだした瞬間から、最後のシーンまで号泣でした。前が見えないほど泣いた。貴重な経験でしたね。劇場の大きなスクリーンに自分が映っていることが信じられなかったし、踊るためにNYに来た僕が、こんな仕事もできているのは幸せだなと感じました。映画に出演したことで、母と初めて同じラインに立てたのかなと思います。

─ダンスを踊るうえで大切にしていることはありますか?

自分が日本人ということもあって、日本人らしい繊細さはいつも意識しています。プラス、アメリカで培ったダイナミックさ。人よりも大きく動き、誰よりも高くジャンプすることを心がけています。あと、NYでの僕はアジア人というだけでマイノリティです。その中でどうしたら悪目立ちせず際立てるかと考えると、ユニークさは大事じゃないかなと思っています。群舞で同じ動きのはずなのになぜか見てしまうような。心のうちから出てくるものを感じ取ってもらえるように踊りたいです。

─今後、やってみたいことについて教えてください。

ダンサーとしては自分のジャンルをいつか築けたらと思っています。尊敬しているマイケル・ジャクソンは、同時代の人にとって先駆者だったと思うので僕もそうなりたいな…自分なりに。もともと話すのが不得意で、身体で表現することに興味があったんです。自分はダンサーだという意識を強く持っていたけど「グレイテスト・ショーマン」に出演して以来、踊る以外の表現にも興味が出てきました。歌ったり、お芝居をしたり、これまでやってこなかったけど言葉をつむいだり。自分を信じて、自分の内側から湧き出るものを表現することにチャレンジしたい。映画をきっかけに、新しい道が拓けて人生の第二章を迎えた気がします。

※映画『X-MEN』でヒュー・ジャックマンが演じた役名

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